太閤秀吉を祀る神社 国宝の唐門は伏見城の遺構
豊国神社とは
慶長3(1598)年に63歳で死去した豊臣秀吉の遺体は、遺命により東山・阿弥陀ヶ峰に葬られ、翌年には広壮な社殿がその山腹に創建された。
後陽成天皇から正一位の神階と
大坂夏の陣による豊臣氏滅亡後は徳川幕府により神号を廃すなど荒廃していたが、明治元(1868)年に明治政府が秀吉の徳を称え、
唐門(国宝)は伏見城の遺構と伝え、二条城から南禅寺の金地院を経て移築された。西本願寺、大徳寺とともに国宝の三唐門の一つとされている。唐門両脇の石灯籠は、秀吉恩顧の大名が寄進したもの。
通称「ほうこくさん」。正式には「とよくに」だが、300年に及ぶ徳川幕府の治世には、公の場で豊臣家を意味する「とよくに」と呼ぶのがはばかられたという。地元の人がそう呼ぶのはその名残と言われる。祭神は豊臣秀吉公。
徳川幕府により徹底的に破壊された、
東大路通りから智積院と妙法院の間の道(通称・女坂)を東へ、京都女子学園方面に歩いていく。登り口から墓までは565段の石段を登らなければならない。女坂の途中には新日吉神宮もある。
また、豊臣秀吉に関連し、豊国神社の北側には方広寺、西へすぐの場所には耳塚がある。
概要
拝観料:境内自由(本堂拝観料 200円)
拝観時間:境内自由(本堂 9時〜16時)
アクセス
京阪電車「七条駅」より徒歩約10分
バス停「博物館三十三間堂前」より徒歩約3分
駐車場:あり