「黒衣の宰相」と呼ばれた以心崇伝は徳川家康のブレーン
金地院(こんちいん)とは
金地院は、南禅寺の塔頭である。応永年間(1394年〜1428年)に4代将軍4代将軍足利義持の帰依を受けて
寛永年間(1624年~1643年)には大造営が行われた。方丈(本堂)は伏見桃山城の一部を徳川家光より賜り移築したもので、襖絵は狩野探幽・尚信のもの。また、小堀遠州作の茶室「
庭園は方丈の南側に展開し、「鶴亀の庭」と称される。白砂は宝船を象徴すると同時に海洋を表し、右側に鶴島、左側に亀島を配置している枯山水となっている。これも
家康のブレーン
崇伝は応仁の乱をはじめとする戦乱によって伽藍の多くを失った南禅寺の復興に力を注いだ。室町幕府の政治顧問的な役割を担っていた崇伝は慶長13年(1608年)、徳川家康に駿府に招かれ、外交や寺社行政全般を任された。その後は家康の政治顧問として、また、幕府の参謀として、徐々に権力を握っていき、十万石の大名待遇となった。
その権威は秀忠・家光の代までおよそ25年間続き、崇伝は「
概要
拝観料:400円
拝観時間:8時30分〜17時(12月から2月は16時30分まで)
アクセス
地下鉄東西線「
駐車場:なし