六波羅蜜寺

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平家一門栄華の跡 空也上人立像や平清盛坐像などを所蔵

六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)とは

六波羅蜜寺

六波羅蜜寺

応和3(963)年、醍醐天皇の皇子とされ「市聖いちのひじり」と呼ばれた空也くうやが大般若経六百巻の書写を10年以上かけて成し遂げ、鴨川の東岸に一堂を建ててこれを供養した。

のちに西光寺さいこうじといったこの寺が六波羅蜜寺の前身である。

空也没後は、貞元2(977)年に比叡山の僧・中信ちゅうしんが入寺して天台宗別院となり、六種の修行(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)である「六波羅蜜」にちなみ、現在の寺名となった。

創建当時に京で流行っていた疫病退散のため空也自ら十一面観音像を刻み、小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、躍りながら念仏を唱え、病魔を鎮めたとされる。この茶は、皇服茶おうぶくちゃとして現在でも正月三が日に授与されている。

空也上人立像(パンフレットより)

空也上人立像(パンフレットより)

日本史の教科書にも登場する「空也上人立像」重文は宝物館で見ることができる。運慶の四男・康勝の作で、口からは6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されているのを視覚的に表している。小像は「南無阿弥陀仏」の6文字を象徴している。

平清盛坐像(パンフレットより)

平清盛坐像(パンフレットより)

また、宝物館には「平清盛坐像」や運慶作の「地蔵菩薩立像」「地蔵菩薩坐像」、「運慶坐像」、「湛慶坐像」も収められ、重要文化財に指定されている。

本尊である空也作の「十一面観音像」国宝は秘仏であり、12年に一度、辰年のみ開帳される。

平家一門の邸宅跡、六波羅

「六波羅」の地は、平安時代末期に平家一門の邸宅が5200余りあったことや、源頼朝が六波羅探題を置いたことで知られている。寺は平家の帰依を受け栄えるが、平家没落とともに兵火を受け邸宅や諸堂は焼失。

鎌倉時代には六波羅探題が置かれ京都守護の中心となったが、幕府滅亡のころに戦火による焼失した。足利義詮や豊臣秀吉、徳川歴代将軍によって保護、復興修復された。現在の本堂は貞治2(1363)年に修営されたもので、明治以降は荒廃していたが、昭和44(1969)年に開創1000年を記念して解体修理が行われた。

西光寺と同時に建てられた愛宕おたぎ念仏寺はこの付近にあったが、大正11(1922)年に現在の右京区嵯峨鳥居本に移った。現在は跡碑が残っている。

概要

拝観料:境内無料、宝物館600円

拝観時間:8時〜17時
宝物館:8時30分〜17時(受付は16時30分まで)

公式サイト:https://rokuhara.or.jp/

アクセス

京阪電車「清水五条駅」から徒歩約7分

市バス「五条坂」「五条大和大路」バス停より徒歩
京都バス「東山五条」バス停より徒歩

駐車場:なし

住所:京都市東山区五条通大和大路上ル東(GoogleマップAppleマップ

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