耳塚(鼻塚)

当ページのリンクには広告が含まれています。

耳塚(鼻塚)とは

耳塚

耳塚

16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも手を伸ばそうとして朝鮮半島に侵略した、いわゆる「文禄・慶長の役(壬辰・丁酉の倭乱)」(1592~1598年)では、朝鮮側へ多大の被害と悲劇をもたらした。

秀吉配下の武将は、 古来一般の戦功のしるしである首級しゅきゅうを日本まで持ち帰るのは難しかったため、代わりに鼻や耳をそぎ、塩漬けにして持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養の儀がもたらされたという。

方広寺の大仏鋳造のときの鋳型の土を埋めた「御影みえい塚」がなまったとも言われているが、定かではない。

昭和44年に史跡「方広寺石塁および石塔」に指定された。

概要

見学自由

アクセス

京阪電車「七条駅」より徒歩約10分

「博物館三十三間堂前」バス停より徒歩約5分

豊国神社から西へすぐ(GoogleマップAppleマップ

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!