京都市– category –
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北区
源光庵
源光庵(げんこうあん)とは 貞和2年(1346)に臨済宗大本山大徳寺二世の徹翁義亨()の隠居所として創建したのが始まり。 源光庵 その後は一時衰退したが、加賀・大乗寺の二十七代卍山道白()が元禄7年(1694)に再興し、曹洞宗に改めた。 「悟りの窓」... -
南区
羅城門跡
【羅城門跡について】 羅城門跡 羅城門()の南端に設けられた、都の表玄関にあたる大門で、この門を境に京の内外を分けた。 弘仁7年(816)に大風により倒壊し、その後再建されたが、天元3年(980)の暴風雨で再び崩壊した後は再建されることはなかった。... -
東山区
京都霊山護国神社
【維新の志士たちを祀る護国神社 今も訪れる人が絶えない】 京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)とは 慶応4年=明治元年(1868)、明治天皇の詔により、幕末の動乱れ倒れた志士たちの招魂祭が営まれ、霊山官祭招魂社が建立されたことが... -
下京区
浄教寺
【浄教寺(じょうきょうじ)とは】 阪急電車の京都河原町駅から徒歩3分ほどにある浄教寺()浄教寺」で、浄土宗のお寺。 1171年ごろ、平清盛の長男・平重盛が東山小松谷に建立した東山燈籠堂に始まる。平家没落後に廃絶したが、1449年後花園天皇に「浄教寺... -
右京区
化野念仏寺
【8000を超える石仏・石塔 弘法大師・空海が野ざらしになってる遺骸を埋葬】 化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)とは 化野()の地は古来から葬送地として知られ、弘仁年間(810~824年)に空海がその地に葬られた人々を追善するために開創。 当初は五智山... -
北区
金閣寺(鹿苑寺)
世界遺産(古都京都の文化財) 金閣寺(鹿苑寺)とは 西園寺公経()」と名づけられた。 通称の「金閣」は境内に建つ舎利殿のことだが、今ではこの寺の代名詞となっている。応仁の乱では西軍の陣となり多くの建造物が焼失したが、豊臣秀吉や徳川家康に帰依... -
左京区
南禅寺
【三門からの「絶景」と琵琶湖疏水が流れる水路閣】 南禅寺(なんぜんじ)とは 前身は、亀山天皇が文永元年(1264)に母・大宮院の御所として造営した離宮禅林寺殿。1292年(正応5年)に伽藍の整備が本格化し、永仁元年(1293)の仏殿(金剛王宝殿)の落成... -
南区
西寺跡
【西寺跡について】 西寺()である。 金堂、講堂(屋根には緑釉瓦()が葺かれていた)を中心として、南大門、中門、五重塔、僧坊、食堂などの建物が建ち並び、国家の寺として隆盛を誇っていた。 しかし、西寺は東寺と比べて早くから衰え、天福元年(1233... -
東山区
無鄰菴
【日露開戦を決定した無鄰菴会議が開かれた山県有朋の別荘】 無鄰菴(むりんあん)とは 無鄰菴は、元老・山県有朋()の別荘で、明治29年(1896年)に完成した。有朋が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたこと... -
左京区
法然院
【法然院】 法然院(ほうねんいん)とは 浄土宗の開祖・法然上人が弟子の住蓮()和尚が念仏道場として再興した。 山門を入って両側には2つの「白砂壇()」があり、水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清め浄域に入ることを意味している。白砂壇は定...